勲旧派と士林派の対立と士禍-世祖から明宗

世祖が王位につくと反対勢力を排除し、王権を自らの元に集約する。

軍政や官制の大幅な改正を行い、軍権を強めると共に職田法を導入して、歳出を抑えた。これらの政策は地方豪族の反発を招き、地方反乱が頻発する様になる。

世祖は逆にこの反乱を鎮圧し、中央集権体制を確立させるのに成功する。

一方で、日本とは融和政策をとり外交を安定させると共に、民生を安定させた。

しかし強権的な中央集権主義により、高級官僚は自らの側近で固められ、実力のある者も高位には就けなくなった。

また批判勢力を弾圧し、自らに服従する功臣達を優遇した。

これらの世祖に優遇された功臣達は後に勲旧派と呼ばれる様になる。

また、儒者の多い批判勢力を牽制するために仏教優遇政策を取った。

世祖が亡くなった後は、幼い王や夭折する王が続いたため、国政は安定しなくなった。

また、王族である亀城君が世祖と同じ事をするのではないかと恐れた大臣達は彼を追放し、王族の政治への関与を禁止した。

これによって、政治の中枢から王族は排除され、臣下の牽制としての王族の役割は終了する。

政治の中枢は勲旧派が占めており、かれらが政治を壟断していた。
update:2010年02月22日